UESUGI Akiko Profile

上杉 亜希子(うえすぎあきこ)
197×年10月13日静岡県浜松市生まれ。天秤座。
血液型はO+型。(犬だった頃は1-1 D1だった。)
小さい頃から歌好き。写真は当時のヒットソング,
『はちのムサシは死んだのさ』こたつの上で熱唱の図

3歳の頃,大雨により近所の湖が氾濫し床上浸水した為,
もう少し郊外の浜名郡雄踏町に避難し、そのまま住み着いてのびのび育つ。

小学校の4年生から高校3年生夏まで卓球少女。
(今で言う愛ちゃんみたいな生活でした…流石に海外遠征まではしなかったけど。)
ちなみに小学生の頃まではガリガリに痩せていた。(今は信じられないだろうが…)

歌はずっと大好きだったけれど、特筆すべきことはなし。

短大2年生の時、浜松市内のヤマハの楽器売り場にふらっと立ち寄り、バンド募集ボードでヴォーカル募集を見つけて応募。
それからバンド活動を始める。その頃はコピーバンドで、初めはレベッカ、小比類巻かほる、浜田麻里、ドリカムなど。後期はホイットニー・ヒューストン、マライヤ・キャリー、マンハッタン・トランスファーなどを歌っていた。(在籍6年くらいだったと思う。)

23歳でジャズを知る。きっかけは上記のバンド練習をしていたスタジオのおじちゃん。「やっぱりおめえ、ジャズだら。」の言葉に惑わされ(!?)ミヨウミマネで“All of me”を覚えて歌う。初めはまったくどうすればいかわからず、勉強することが多く挫折しそうだったが、次第にはまっていく。

一番初めに見た、プロのジャズコンサートは、地元(雄踏町)の文化センターでのすごい顔ぶれのミュージシャンだった。ヴォーカルは伊藤君子さん、ドラムは今は亡き日野元彦さん、フルートは中川昌三さん…そしてピアノは佐藤允彦師匠!ホールの一番後ろで聴いていたのにすごく衝撃を受けたのを覚えている。

地元のライブハウスに毎週勉強に通い、たまに1,2曲歌わせてもらう。毎週水曜日は会社が終わってから仲間と大抵午前4時くらいまで猛練習していた気がする。そのうちたまに店でライブをやらせてもらうようになる。

1998年6月。友達からヤマハ主催のハママツジャズウィークで『佐藤允彦のジャズクリニック』というのがあるよ、と教えられ,後先を考えず受講を申し込み、抽選に受かってしまった。

何せ憧れのピアニストである。受ける少し前に新宿ピットインの昼のセッションに参加しに行ったら、夜の部がたまたま師匠たちの日だったらしく、初めて本物の佐藤允彦氏に会う。「今度、ハママツジャズウィークのクリニックでお世話になります。」と恐るおそる挨拶をすませ(佐藤氏は超怖いと聞いていたのだっ!)、それだけで宙に浮きそうになり、地上に出た。

クリニック当日もかなりのビビリよう。結局、直前で曲も変え、“I Remember You”、“But Beautiful”にした。自分の番にまわってくるまでどきどきしながら練習室で練習し、もうこれ以上やっても仕方ないと覚悟を決めた。

名前を呼ばれ,ステージに出て行くと…目の前には100名くらいの沢山の聴衆がっ!あっという間に時が過ぎ、温かい拍手のシャワーを浴びていた。終わってから講師の方々と写真を撮った。

これがきっかけとなり、東京で佐藤允彦師匠の厳しい体育会系レッスンを受けることとなり、今日に至る。
これからも頑張りますっ!応援してね。
ぶち

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